不幸とは
2010/05/01 02:19:44
欲求は身を苦しめるがそれでも不幸せではないと断言できる。
そもそも不幸せであるとはどのようなことを言うのか?
今まで生きてきて不幸せであったことなど一度もないので確証はないがそれは選択の余地がないことなのではないかと思う。
以前は不幸せとは目的がないことだと思っていた。
もちろんその考えは今でも変わっていない。
それならば答えは複数あるという結論なのか。
それもひとつの結論だが「選択の余地が無い」と云うことと
「目的がない」と云うことは本質的に違うことのように思える。
前者は外的なものに制約されているのに対し後者は内的なことに要因があることがその原因ではないか。
つまり前者が成り立たないとき、選択の余地がある時に限り後者に不幸せの要因を求められる。
前者が成り立つときは後者の成立の奈何に拘らず不幸だと言えるのではないだろうか。
これは自分の中の狭い視野の定義なので決して万人に対して成り立たないだろうが自分の中で不幸というものが具体化してきたところに意味はあるとおもう。
しかし不幸でなくても腹は減る。不幸を特定できても腹は膨れない。
そもそも不幸せであるとはどのようなことを言うのか?
今まで生きてきて不幸せであったことなど一度もないので確証はないがそれは選択の余地がないことなのではないかと思う。
以前は不幸せとは目的がないことだと思っていた。
もちろんその考えは今でも変わっていない。
それならば答えは複数あるという結論なのか。
それもひとつの結論だが「選択の余地が無い」と云うことと
「目的がない」と云うことは本質的に違うことのように思える。
前者は外的なものに制約されているのに対し後者は内的なことに要因があることがその原因ではないか。
つまり前者が成り立たないとき、選択の余地がある時に限り後者に不幸せの要因を求められる。
前者が成り立つときは後者の成立の奈何に拘らず不幸だと言えるのではないだろうか。
これは自分の中の狭い視野の定義なので決して万人に対して成り立たないだろうが自分の中で不幸というものが具体化してきたところに意味はあるとおもう。
しかし不幸でなくても腹は減る。不幸を特定できても腹は膨れない。
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