慣れとブドウ糖
2010/05/26 01:22:26
雑多ー方向性拡散日記ー
↓
方向性拡散
にブログ名変更。別に大した意味はないけれどちょっと簡潔にしてみた。
慣れとは恐ろしいものであんなに苦痛だったバイトが今ではすっかり当たり前になっている。
辞めても生きて行けるのならば迷わず辞めますよ?
そんな裕福期がくる日はないのだけれど。
居心地は特にいいわけでもないし誰かと特別仲良くなったわけでもない。
いつでも辞めてもいいという気持ちで日々働いていることには変わりはない。
ただ辞めるのももったいない気もする。勉強になることは沢山ある。
年下がわりと多い職場だけれど年下だからと言って侮れなく、彼らから学ばせて貰うことは意外に多い。
多分これから生きていく上でもそうなのだと思う。
年齢、性別、学歴、職種などに拘らずひとりの人間として向き合っていく上で他人から得るものは限りなく多いのだと思う。
それとは別に殺伐とした雰囲気も当たり前になってしまったし、そんな中にも面白いと思うこともたまには見つけられる。人間の順応力とは驚くべきもので、どんなに苦痛だと思う状況でも慣れが訪れる。
もちろん嫌なことは嫌だしやりたくないことはやりたくないのだろうが一種のあきらめみたいなもの、背に腹は代えられないと腹をくくって打ち込むと嫌なことでも当たり前のようにやっていけるものだと改めて思う。
もう数年前だがそのときもバイトが始まったばかりで嫌なこともあり、あまり職場の話はしたくないときに父親に「まあ最初の三ヶ月だ。それを過ぎれば慣れるちゃうもんだ。」と言われたことは今でも忘れない。その時は一ヶ月過ぎたら慣れて父親の行ったことの真実性を実感したが、今回同じ様にいくか若干不安があった中で再び実感できた。
しかし一番の驚きは大きな声をあげることが嫌い、理論上大声の出し方は知っていても実践したのは数少ない自分が呼び込みのような大声を毎日のように出していることか。まあこれも慣れなのだが。最初の時点でこれは克服しておくべきこととはじめに考えこの仕事を選んだことは正解だったのかもしれない。
それでも今までの人生で大声を上げることをよしとしたことはわずか一年間しかなかったのでやはり抵抗はあったが見事克服できてしまった。むしろ大声上げて日々の鬱憤を発散する勢いなのには自分のことながら驚かされる。
ただ 声の出し方は間違えると一生しわがれ声になる危険性もはらんでいるのでそこは気を付けたい。現に少し前に出し方間違ったまま大声出してたら声枯れてしまったので腹から声出すように意識せねば。
もう一つ気を付けたいと言うよりは乗り越えたく思うものがある。それは
家で鬱々と過ごす
↓
バイトに行って大声を出す
はテンションの高低差がかなりあり、これは心理的にかなりの苦痛。
このテンションの強弱を自在に操れるようになったら多分怖いものなし。そしてかなり高い壁。
現在の生活上の問題点は
勉強がはかどらない&頭の回転が遅すぎる。
この二点。致命的。
後者については思いのほか食生活も若干関係しているのではないかと思う。
ケチりすぎてブドウ糖が脳に効率的に通ってない気がする・・・。
食費のオーバー覚悟でブドウ糖確保すべきか、将又ブドウ糖欠乏覚悟で食費上限順守すべきか、迷う。
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方向性拡散
にブログ名変更。別に大した意味はないけれどちょっと簡潔にしてみた。
慣れとは恐ろしいものであんなに苦痛だったバイトが今ではすっかり当たり前になっている。
辞めても生きて行けるのならば迷わず辞めますよ?
そんな裕福期がくる日はないのだけれど。
居心地は特にいいわけでもないし誰かと特別仲良くなったわけでもない。
いつでも辞めてもいいという気持ちで日々働いていることには変わりはない。
ただ辞めるのももったいない気もする。勉強になることは沢山ある。
年下がわりと多い職場だけれど年下だからと言って侮れなく、彼らから学ばせて貰うことは意外に多い。
多分これから生きていく上でもそうなのだと思う。
年齢、性別、学歴、職種などに拘らずひとりの人間として向き合っていく上で他人から得るものは限りなく多いのだと思う。
それとは別に殺伐とした雰囲気も当たり前になってしまったし、そんな中にも面白いと思うこともたまには見つけられる。人間の順応力とは驚くべきもので、どんなに苦痛だと思う状況でも慣れが訪れる。
もちろん嫌なことは嫌だしやりたくないことはやりたくないのだろうが一種のあきらめみたいなもの、背に腹は代えられないと腹をくくって打ち込むと嫌なことでも当たり前のようにやっていけるものだと改めて思う。
もう数年前だがそのときもバイトが始まったばかりで嫌なこともあり、あまり職場の話はしたくないときに父親に「まあ最初の三ヶ月だ。それを過ぎれば慣れるちゃうもんだ。」と言われたことは今でも忘れない。その時は一ヶ月過ぎたら慣れて父親の行ったことの真実性を実感したが、今回同じ様にいくか若干不安があった中で再び実感できた。
しかし一番の驚きは大きな声をあげることが嫌い、理論上大声の出し方は知っていても実践したのは数少ない自分が呼び込みのような大声を毎日のように出していることか。まあこれも慣れなのだが。最初の時点でこれは克服しておくべきこととはじめに考えこの仕事を選んだことは正解だったのかもしれない。
それでも今までの人生で大声を上げることをよしとしたことはわずか一年間しかなかったのでやはり抵抗はあったが見事克服できてしまった。むしろ大声上げて日々の鬱憤を発散する勢いなのには自分のことながら驚かされる。
ただ 声の出し方は間違えると一生しわがれ声になる危険性もはらんでいるのでそこは気を付けたい。現に少し前に出し方間違ったまま大声出してたら声枯れてしまったので腹から声出すように意識せねば。
もう一つ気を付けたいと言うよりは乗り越えたく思うものがある。それは
家で鬱々と過ごす
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バイトに行って大声を出す
はテンションの高低差がかなりあり、これは心理的にかなりの苦痛。
このテンションの強弱を自在に操れるようになったら多分怖いものなし。そしてかなり高い壁。
現在の生活上の問題点は
勉強がはかどらない&頭の回転が遅すぎる。
この二点。致命的。
後者については思いのほか食生活も若干関係しているのではないかと思う。
ケチりすぎてブドウ糖が脳に効率的に通ってない気がする・・・。
食費のオーバー覚悟でブドウ糖確保すべきか、将又ブドウ糖欠乏覚悟で食費上限順守すべきか、迷う。
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