12月28日
近頃やっと勉強を真面目にやる習慣が戻りつつある。
まだ短時間しか持たないけど。
英語の聞取りが(も?)壊滅的なのでひたすら楽そうな文章のリスニングをするのだがよく言う
「最初からスピードが速い英語を聞いていればあとで標準のスピードの英語が聞き取りやすくなる。」
みたいな誰が言い出したのかわからない格言が全くアテにならないのがよくわかる。
標準スピードを聞き取れないで最初から突っ走っても自滅するだけなんだよ。
例外があるとすれば単語、熟語、文法、構文をマスターしている人。
此処で言うマスターとはその言葉を聞いた瞬間にわざわざ日本語に変換しなくても
頭にその語の指す動作やら意味やらが瞬時に頭の中に浮かぶということ。
そういう人なら最初から突っ走っても転ばないと思う。
だいたいそういう人はリスニングができないなんて云うことはないだろうけど。
なので地道に基礎の基礎からやっております。それでも30分やっただけで猛烈に疲れる・・・。
道のりは長い。
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本日の出費
・食パン
・カップ焼きそば
〆て¥176なり。今週の食費合計¥1599。
今週もなんとか目標達成。その差¥1。最後の最後でミスって¥1600越えるところだったわ・・・。
あぶないあぶない。
最後は贅沢にカップ焼きそばなんぞ買ってしまった。
「一食で¥90近く使ってしまうなんてなんて豪盛なんだ!」とか思ってる今日この頃。
とことん貧乏気質な今日この頃。
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光があれば影あり、影あれば光あり
なんてよく言うけどこれって本当なのか?
我々が生活している上では光が差し込むところには影が浮かび上がるし
暗いところで灯される光は存在感が高まる。
宇宙においても同じことが言えるだろう。
あたり一体一切が闇の中ではさぞかし光は綺麗に輝いているのだろう。
しかしその光にばかり目が行ってしまいがちだが闇と云うものも視覚出来ているはずだ。
闇が一体何で出来ているのかはわからない。
真空でもあるのかもしれないし、暗黒物質かもしれないし、暗黒エネルギーかもしれない。
暗黒物質については空間に満ちているとは考えづらいからそれ以外の物なのかもしれない。
今の自分には全く検討がつかない。
しかし事実は『闇』はあるということ。
われわれは自然と光がないところには闇が存在すると考えてしまうかもしれないが
そもそも闇が何かと云うことまではっきりわかっていない。
闇はもはや当たり前になってしまい、調べる対象から一線を画されているように思う。
実は闇にも速さがあるのではないだろうか。
そしてそれは光よりも速いと云うことはないのだろうか。
闇がなければそもそも光は見えないであろうし。
ただ光子の観測の仕方はわからないので闇がなければ光は観測されないと言うことは避けておく。
影の形成については光と同じ速さで成り立っていると考えるのは妥当だろうか。
先に闇があってそれが光によってくり抜かれると云う考え方もできないだろうか。
光が差し込むことによって影は一層目立つが、ふんだんに挿し混んでいるはずの闇が
光によって見えなくなってしまっていることも事実ではないだろうか。
闇とは実はとても儚いものであるのかもしれない。
ふとそんなことを感じた。