1月1日
久しぶりに2日連続で一歩も外に出なかった。これぞ引き篭もり!
今や新年の挨拶は携帯で「あけおめ!」でしょうが、友達少ないからそんなん来ないよ。なにか?
そもそもそんなアクティブな友達持ってないよ。
と思ったら何通かきてておどろいた・・・。
いやいや、ありがたいことですね。ほとんど連絡取ってない友達の近況も聞けたし。
Angel Beats!のPV見たけど結構面白そうかもしれない。
自分は鍵っ子でも麻枝さんのファンでもないし、せいぜいAIRくらいしかやったことないけど
彼の作る物語や音楽の素晴らしさは上の人達と同感だ。
しかし今回のアニメはまんまハルヒと被ってるよね?と云うおそらく多くの人が思う感想を持ったのもあり
期待していなかった。もしかしたら実際観た人の意表を突く作戦なのかもしれないが。
だがPVを観てみて思ったのはいわゆる脇役と云うものの扱いを大事にしていそうだと云うこと。
アニメに限ったことではないが物語は主人公やヒロインなど中心人物を際だたせるために脇役が
本当の意味で脇役であってしまうことが多い。本当の意味で脇役であるとは中心人物の行動の
あいづち役とも言い換えられるかもしれない。ただ相づちを打つだけ、自分の意思を表現することが
許されない存在。主人公が行動しているときは一切行動が許されないような存在。
それは物語ならではの良い部分でもあるがやはり現実とは程遠く、そのような作品が蔓延して
一種のマンネリ化がされているように思える。だから観ていても大体先が読めてしまう。
きっとあらゆる人物の行動が介在するとカオスが発生し、先が読みにくく成るのに対し、
主人公とそのごく関係の濃い人物だけに光を当ててしまうと物語の幅を狭めてしまい、
大まかな流れがすでに見え、その中を観察すると云うスタンスになってしまうのだと思う。
観ている者にとっては先の読めない話のほうがエキサイトするのは当然のはずだ。
作る側の苦労は計り知れないだろが。
アニメに限っては尺の問題もある。23~24分、12ないしは24話で納めなくてはならない。
いくつかのシーズンに分けて作ると云う方法も近年では多いのでそこは大人の事情で
色々手配しなければならないのだろうが。
そんなわけで大量生産大量排出の流れが強い今の時代、話の内容を作り込むのは
難しいのかもしれない。脇役一人ひとりを大事にすることはこの流れに逆流すべきもの
と取れる。しかし、今回のPVを見る限りキャラクター一人ひとりを大事に作られていそうだと
そう感じた。そこは実際観てみないとわからないのだがワンクール作品でそこを乗り越えることが
できたとしたらきっと素晴らしい作品に成るだろう。
そして音楽。PVで流れていたBGMを聴いて一気に期待度が増した。
オープニングもLiaさんが担当するようで楽しみだ。
殺伐RADIOまだ最後まで聞いてないけどこのなにか殺伐とした面白さが漂った奇妙なラジオも
是非続けて欲しい。
本日の出費¥0